兵士は戦友の遺品を日本に持ち帰りたいと思って。
遺族に戦友の遺品を渡してあげなければと考えて。
遺品をどれにしようか迷っていました。
兵士は疲れていました。
とてもとても疲れていたのです。
いえ。
その兵士だけではなく。
日本軍の兵士は皆疲れていて。
そして皆、どうしようもなく腹を空かせていたのだそうです。
兵士は考え抜いた末に、戦友の名刺を一枚抜き取り。
この名刺を遺品として日本に持ち帰ろうとポケットに仕舞いました。
一番軽かったのです。
こうして兵士は逃げました。
もう身体も気持ちも、ぼろぼろで。
でも、死にたくは無かったので歩き続けました。
右足を出し左足を出し。前に進むのでした。
兵士なのに。
もう武器も持っておらず。
重いものはみんな途中で捨ててしまいました。
服もぼろぼろで。
ただ幽霊のような足取りになりながら。逃げました。
どれくらい経ったころでしょう。
逃げながら。
兵士は自分の左肩がモーレツに重いことに気づきました。
でも荷物はもう何も持ってはいないのです。
それなのに左肩がモーレツに重い。
兵士はよろめきながら左の胸のあたりを触ってみました。
すると、左の胸のポケットに一枚の名刺が入っていました。
戦友の名刺です。
兵士は名刺がこれほど重いのだということにその時はじめて気づきました。
でも、捨てるわけにはいきません。
これは戦友の遺品なのです。
日本で彼を待つ彼の遺族に。
彼の父に。彼の母に。手渡さなければと兵士は強く想いました。
でも。どうしようもなくその名刺は重かったのです。
兵士は、朦朧とする意識の中で必死に考えました。
そうして名刺の端を少しだけ。すこしだけ。指でちぎりました。
そうしてまた。歩きだしました。
それでも。
少し行くと、また左肩が無性に重くなるのです。
兵士は立ち止まり。またポケットから名刺を取り出しました。
そうして、また丁寧に名刺の端を少しだけ。ほんの少しだけ指でちぎりました。
そうしてまた歩き出すのです。
でも。
それでもどうしても左肩が重くなる。
兵士は立ち止まって。
また名刺の端を少しだけちぎる。
それから幾日歩いたでしょう。
運好く兵士は日本へ帰る引き上げ船に乗ることが出来。
そうして無事に日本へ帰りつくことが出来ました。
こうして兵士は、戦友の遺品を遺族に渡すという責任を果たすことができたそうです。
でも、遺族の手に渡された時。
その戦友の名刺は。
ほとんどの部分がちぎられて、
ぎりぎり戦友の名前が刷られているところばかりが小さく小さく残った、奇妙な奇妙なものになっていたのだそうです。
その話を親父は子供だったぼくにして。
そうして親子して。
うすっぺらい名刺一枚が耐えられないほど重くなるのだと言う。
極限状態に追い込まれた人の身の上に、遠く思いを馳せるのでした。
2009-04-26 (via gkojay) 2010-05-15 (via gkojay) (via mcsgsym) (via from-dusk-till-dawn) (via petapeta)